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台湾で優秀そうでめっちゃ普通の大学生をしています

日台ハーフの僕が複数言語環境で育ってきことについて

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どうも臭豆腐です。

 

 

今まで書いた記事で何回か書いたことあるのですが、僕は日台ハーフです。台日ハーフでもいいんですが(笑)

殆どを日本で過ごしてきたので、アインデンティは日本人より。ただ幼少期に1年くらい台湾にも住んだことがあるので、小学校上がるまでのアインデンティは台湾人でした。

なので、小学校に入学した頃はとても苦労しました。何にかというと、言語の壁にです。

 

 ※人によってはシビアなテーマですが、以下、僕個人の考えなので適当なこと言うなと思わないでください、どうぞあしからず。☺☺☺

 

 

 

小学校2年までは台湾人

生まれてから小学校入学までの期間。個人的になんですが、母国語を確立するための大事な期間だと思っています。そう思ったのは、先程も書きましたが、台湾人のアインデンティで日本の小学校に入学したからです。

 

センセイナニイッルカワカンナイ

 

入学前までは中国語が母国語として確立していましたが、なんせ7歳なので7歳の言語力・語彙力そのものが低いので、完全に確立されているわけではありませんでした。

 

7歳の悪ガキと本気で語ろうと思っても語れないですよね?それは7歳の言語力・語彙力の未熟さ、語れるだけの思考が無いからです。

 

なので、7歳時点での中国語は完全には母国語として確立されていませんでした。(今思えば)

 

そんな未熟な状態で完全に環境が変わったときは苦労しましたねーほんと。(ホンマキツかったで、おかん、おとん。)

なので、授業中も先生の言ってることはあまり聞き取れず、友達との会話もあまりうまくいかず、カッタコトのニホンゴでガンバッテイマーシタ。

 

 

エピソード1

ある日、絵のコンクールで入賞したので表彰状を取りに行かないと行けませんでした。先生に「表彰状を取りに来ました」って言うのを言わなければいけないのですが、表彰状という単語を全然言えなかったのを覚えています。

 

頭の中では「ヒョウショウジョウ」

口に出すと「ヒョジョチョウ」

 

一つの単語を言うのに全神経研ぎ澄ましてました。

結局言えませんでしたが←

 

先生が察してくれたので、表彰状は受け取れたのですが。(いちいち苦労したでほんと)

 

 

エピソード2

発音がなかなか出来なかったですねー。小学2年生の頃でした。九九の練習を授業でしていました。1の段から9の段までを必死になって練習しました。ほんと地獄でしたねあのときは笑笑笑

 

6×9を言うとき「ろっくごじゅうし」と言いますよね。僕の場合「ロックゥゴジュシ」ですよ。ちゃんと覚えています。クラスメイトに笑われたのを。

 

めっちゃ恥ずいからな‼

 

 

小学校中学年から日本語に慣れてきた

環境のせいなのかおかげなのか、小学校4年生からは言語上の問題は殆どなくなりました。2・3年で日本語わ習得できたと考えれば、とてもよかったです。

 

 

代わりに中国語が出来なくなりました。それもそのはず、入学後は日本語しか使っておらず、未熟な中国語のまま使わなくなったらそれは忘れるはずですね。

 

你好 謝謝 不客氣 我想吃 我要去などの簡単な中国語は出来ましたが、それ以外は完全に終わってました。

日本語はみるみる良くなりましたが、中国語はみるみる忘れていきました。

 

家庭内での言語環境

母が台湾人、父が日本人。

父は中国語が出来ないので基本日本語です。母の日本語は完璧までいかないですが、生活上では問題なく使いこなせます。中国語はもちろんできます。

 

小学校までは、母は中国語で話すことも多かったのですが(簡単な中国語だけ)、中学校からは日本語での会話が多くなりました。母が僕に合わせたって感じですね。母と喧嘩したときは中国語しか使ってこないですが(笑)

 

この頃には日本語が完全に母国語として確立されました。

 

 

 生活上で使っていた言語の割合で言うと、9.8:0.2(日本語:中国語)です。

 

ハーフであることが恥ずかしかった

ちょうど思春期のころからハーフであることに恥ずかしさを感じてきました。今でもはっきりわからないのですが、おそらくみんなと違うということに恥ずかしさを感じていたと思います。

もしインターナショナル学校(みたいな)に通っていればそんなこと思っていな買ったと思いますが、普通の学校に通っていましたので。

 

みんなと違うということが一つともう一つが、ハーフなのに中国語が話せない(母国語のように話せない)ことだと思います。昔の話なので、あの時の自分が何を思っていたのかは鮮明には覚えてはいませんが、自分の性格や考え方から分析するとこんなこと思っていたと思います、

 

今思えば何を恥ずかしく思うことがあるのかと、いやれやれって感じですが、思春期ってとても周りからみられることに敏感ですので、もしハーフであることが原因でいじめでも起きたら多分恥ずかしい程度の苦しさじゃなかったと思います。

 

幸い僕の周りにはそんなことする人はいませんでした。というか自分からハーフであることを隠していましたし、台湾と日本人のDNA上見た目も純日本人とあまり変わりませんので、気づかれない(笑)

 

 

みんなが思っているよりハーフって複雑

ハーフの方全員が全員辛いしているわけではないです。てかほかの方がどんな人生送ってきたのかわかるはずがないので、【ハーフの人】っていうくくりで話すとそれはまた違うのですが。ですが一応ハーフ代表として言いたいことがあります。

 

さっき述べた通り、僕は見た目がほぼ日本人と変わりません。しかし、もし自分が欧米系、アフリカ系、中東系、の親でしたらどうですかね。僕が通ってきた人生とは全然違う人生だったかもしれません。

 

見た目が少し違うせいでいじめられたり、それが原因で自分が嫌になったり、自分のアイデンティティについて深刻に考え込む子供もいるかもしれません。

べつにそんなことキニシナーイ、見た目違うって逆に優越感アルジャン!って感じるハーフもいるかと思います。

 

僕の勝手なイメージなんですが、今まで出会ってきたハーフの方って明るくて、オープンな方が多いので、一般人よりも何か違う雰囲気を感じます。(大きくなって出会った方)

 

「昔ハーフで悩んでいたけど、今は逆にハーフを誇らしく思う」という方もいました。僕もその一人です。

心が大人になったときが、悩んでいたこと(ハーフでいること)が逆に誇りに変わる瞬間でした。

 

まあそんか深刻にならんでもいいやん!!って結構言われました。そんなこと軽々しく言うなよ!!と。

僕はそこまで深刻に悩んでいたわけではなく、まだ「恥ずかしいな」っていう程度でしたので。そこまで敏感ではなかったですが。

 

ハーフは皆さんが思っているより複雑かなと。僕は思います。

 

ハーフでもアイデンティティが確立している方もいますし(日本生まれ日本育ちで価値観や思考が完全に日本人とか)、そんなこと考えたことないなーという方もいると思います。全員が全員同じような環境では無いですし、家庭内の環境も異なるので、自分がハーフであることにどう感じんているかは人によって異なりますね。

 

 

 

長くなったので今回はここまでにします。まだまだ書きたいことありますが、次書きたいと思います。

 

謝謝大家收看我的部落格m(_ _)m

 

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